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ユーザー長編インタビュー ~JAXA 森田教授に聞く(後編)~

2017/03/15

インタビュー

ユーザー長編インタビュー ~JAXA 森田教授に聞く(後編)~

先日、イプシロンロケットのプロジェクトマネージャであるJAXAの森田泰弘教授のインタビュー前編を配信し、大変ご好評をいただきました。読者の方からは「森田先生のお話、とても勉強になりました。企業の商品開発とほぼ同じことをされていますね。」「ベンチャーの企業人っぽくてすごく面白かったです。」等の感想を頂戴しました。後半も是非お楽しみください。

受け継がれるロケット開発の伝統、そしてこれからの教育のあり方について

先生のお話の中に「教育」という言葉がありましたが、我々も新人を育てるということを絶えずやっています。JAXAの中ではどういう風に教育されていますか?例えば先輩達が取り組まれている姿勢を見ていれば自ずと若い者は育っていくとか、それとも何かしくみがあって教育されているのか、特別な秘訣があれば教えていただきたいのですが。

それは元々の固体ロケットの開発のしくみというのが、大学の研究室から始まっていますから。あるいは一歩進んで大学の研究所のスタイルですから、元々は講座制(研究室)なんです。教授がいて、助教授がいて、助手がいて、学生がいてという。私も学生から発進している訳です。それで、その講座ごとにロケットのどこを担当するかが決まります。例えば私だと誘導制御でしたが、構造、推進、燃料、電気製品といったロケットのシステムを担う研究室があって、そこは大学の研究室なので、そもそも研究機関な訳です。

イプシロンロケット2号機
※イプシロンロケット2号機(提供:JAXA)

なるほど、そこで叩き込まれる訳ですね?

学生は学生なりに叩かれて、はい上がった人だけが助手になる。助手は助手なりに叩かれて、はい上がった人が助教授になるという、そういう恐ろしいシステムになっていますから(笑)。個人に目を向けると最適かどうかわからないですけど、組織としては絶妙なシステムになっている訳ですね。はい上がった者だけが残って教育されている訳ですから。今まではそれで良かった。これからはちょっとそういう時代でもない。というのは2つの意味があって、これからの時代、そういう悠長な人の育て方をしていられない訳ですよね。さっき言ったような育て方だと学生から始まって一人前になるまで20年とかかかっちゃいますから、そんなサイクルではこれからのJAXAも大変だし、ましてや民間の皆さんだとそんな足の長い教育はできません。今は、若い人にどんどん仕事を任せて主体的にやらせていこうという方針に変えているんです。今までは丁稚奉公方式ですから、まだ早い、お前にはまだ早いっていう期間が結構あったのですが、そうじゃなくて、入って2年目とか3年目の人にも責任を持ってどんどんやってもらう、その中で開発のしくみとか、研究のしくみとか、どういう姿勢でやらないといけないのかを叩き込むっていう、そういう方向にシフトしようとしているんです。

それはそれで結構厳しそうですね。

厳しいですけどね。それは簡単なことではなくて、我々も、本当の意味でどうすべきかというのはまだ考え中の部分はあるんですけど、当座、元々のシステムがありますから、その中で若い人に最初からやらせるという文化を植え付ければ、いいものになるんじゃないかなと思っているんですけどね。

メンタルはすごく強くなりそうですね。そのほうが、最初から新しいことにチャレンジするという習慣ができそうですね。丁稚奉公方式だと、何とかならなくなったら、師匠が責任をとるという考えもありですが、最初から任されると自分でなんとかしないといけないという意識が働きますね。

おっしゃる通り。今のはすごく大事なポイントで、今までチャレンジ精神っていうと、組織のチャレンジ精神だったんですけど、きっとだんだん個人に比重が移っていくんですよね。逆に言うと若い人が最初から色々なことに采配を振るって挑戦できるようなしくみを今作ろうと思っているので、それがうまくいくとすごいなと思っています。イプシロンの記者会見の時にも少し言いましたが、実は試験機の時は今までの開発体制の延長線みたいな部分があって、超ベテランがいた訳です。M-V開発を引っ張っていたような超ベテランがいて、そういう人を軸にして開発が進んでいるような部分があった。だけど、2号機は全然違っていて、この3年間でそういうベテランがみんな引退していなくなったので、若手と中堅にやらせたんですよ。だから実は開発の過程でものすごく大変な出来事が沢山あった。

JAXA相模原キャンパス全景
※JAXA相模原キャンパス全景(提供:JAXA)

例えばどんなことですか?

例えば、電気製品の改革に取り組んで、ロケットに点火するしくみをそれまでの機械式のリレーから、電気式の半導体のリレーに変えました。産業界の皆さんからするとひどく当たり前のことで、今の時代にまだ機械式リレーを使っていたんですか、みたいな世界なんですけど、ロケットの場合、やはり信頼性が最優先なんで、昨日までちゃんと動いていた部品を今日変える人はいないんですよ。それが宇宙業界の最大の問題で、それではいけないというので変えさせて、やはり今までの人にはできないことを若い人がやった訳ですね。それはそれで難しさがあり、最終的にはできたんですけど、開発の過程で思い過ごしとか、勘違いとか色々あって、フタをあけてみると、なんでこんなバカなことをっていうのが結構あったりして、そこは難しいところだったなと思います。経験が浅いっていうと怒られちゃうけど、経験が浅いが故に、そういう挑戦ができた反面、経験が浅いが故に設計や試験の細部に気がまわってなくて、ボーンヘッドみたいなものもあったりして、両方の面があったのです。でも、私の中ではそういうものも含めてやっていかざるを得ないという方針が最初からありましたから、そこは揺るがない部分でしたけど、(試験機から2号機までの)3年間は、そういう意味では結構短かったですね。ギリギリというか。

かつて先人は基本的に何もなかった訳ですから、ゼロからのスタートが当たり前だったと思います。しかし、今の世代の人達は、一定の技術は揃っていて、ゼロからの取り組みがない訳ですよね。そう考えると、イプシロンの取り組みはすごく貴重なことというか、それがないとその先の未来へ進みづらいということもあったかもしれないですね。

何事もなく新しいチャレンジが実現してしまったら、どうなっていたのかなという心配はありましたが、途中経過で散々鍛えられたのでよかったかなと思っています。経験という意味でね。当事者は大変だったと思いますが。

若者もつらいけど、それを見守る管理者側も結構大変ですよね。ドキドキで(笑)。

本当にね。やはり時代が違うんだなっていうような出来事が沢山ありましたよね。でもそういうものですよね、技術の開発って。ただ、今まで の技術の蓄積があった上で若い人達もやった訳だから、ある種、今まで の積み重ねの延長にいたからこそできたっていう部分は当然あるんです
よね。その辺は勘違いしないように、これからも指導していきたいと思
いますけど。

そういう教育システムだからこそ、間違いが見つけられたというのは重要ですよね。

もちろんそうです。おっしゃる通り。

そのしくみがないと、以前の経験も活かせなくなりますよね。

おっしゃる通りで一番大事なポイントですね。こういうミスを発見するにはこういうことをしておくというのがしくみとしてありましたね。

イプシロンのチャレンジ精神の原点である低融点推進薬

(弊社に関係する)低融点熱可塑性推進薬(燃料)についてもお聞きしたいのですが、これがコストダウンの一つのポイントになっていく訳ですよね?

なっていきますね、これからは。

製造方法の革新の一つとして、「低融点推進薬を使って、脱大型バッチ」という方向性を示されていますが、これについて何かコメントをいただけますでしょうか?

これに関しては色々な要素が取り込まれていて、まず一つは製造プロセスを改革しなければいけないというのがあります。要するに抜本的なロケットの低コスト化というのを図るために何が必要かを考えた場合に、何しろロケットの重さの半分以上は推進薬ですから、そもそも推進薬の作り方を変えない限り値段は下がらないという思いがありました。そして、それに対してどういうことをすべきかを考えた結果、とにかく今の大型で非効率なバッチ生産から、小型で連続生産できるようなものに変えないといけないという結論になったのです。そういうことをみんなで考えて、考え抜いた暁の答えが低融点(推進薬、以下低融点)なんですよ。我々のロケットの低コスト化をどうやって成し遂げるかっていう、まさに大きなビジョンの集大成なんですよね。

開発当初からそこは変えなければというのがあって、模索していったということなのですね。

ニワトリと卵の関係なんですけど、ロケットの値段を下げるにはどうしたらいいのかというのがまずあって、その時にはさっき申し上げたような色々なコンセプトがきれいに並んでいた訳ではなく、まず、この一番分量の多い、一番値段の高い部分をどうやって変えるのかっていうのを考えたのがすべての始まりなんです。そこから先、色々なことが出てきた訳です。いろいろと考えているうちに自転車に関わるメーカーさんが見つかってきたりとか、ミキサーでいうとシンキーさんみたいな宇宙に近いようで遠かった人達を宇宙の仲間に迎え入れるということもしていく必要があるというのを、低融点を実現しようとする過程で、どんどん我々が気づかされたということなんです。それは実は低融点だけではなくて、ロケット全体を低コストにするカギだということに後から気づいたんですよね。だから共通項を最大化するとか、特殊部品を汎用部品に変えていくとか、周辺の皆さんのアイデアを使っていきましょうなんていうのは、低融点を実現する過程でどんどん出てきた具体的なアイデアなんですよ。

JAXA森田教授

低融点の発想というかアイデアは、どなたから出てきたのですか?材料担当の方達からなのか、それともプロジェクトマネージャとして全体を見ている先生から出てきたのですか?

それは難しい質問で、ある研究会のメンバーが14~15人いるんですけど、最初の頃はみんなでああでもない、こうでもないと議論するだけで終わっていたのですが、ある時にみんなで考えているうちに気がついたっていう、そういう感じですね。だから誰かがこれをやれと言った訳ではなくて、問題点はここだっていうのをどんどん掘り下げていって、みんなでディスカッションしているうちに、こういうものがあったらいいなっていうのが涌いてきたんですね。

それはどれくらい経ってからなのでしょうか。

1年位はかかったんじゃないでしょうかね。M-Vロケットが2006年の9月に引退したのですが、研究会はその数ヶ月前に立ち上がったんです。

それはもしかして秋葉先生※の研究会ですか?
※秋葉鐐二郎氏。糸川英夫教授の教え子で、森田先生の指導教官にあたる。

そう、秋葉先生の研究会です。あの研究会では色々なアイデアがごちゃ混ぜになっています。例えばロケットを最小化するために何をしたらいいかを考えた際に出てきたのが、飛ぶ時は畳んでおいて帰ってくる時に開く翼があったほうがいいとか。翼の研究も相当やったんですよ。バイオミメティクス(生物模倣)という、昆虫の生態を工業製品に活かそうという研究が今、流行っていますよね。それの走りだったんですよ。秋葉先生はカナブンみたいな、畳んでおいて開けるような、そういう羽根をロケットにつけろとかおっしゃって、指導教官だから逆らえなくて(笑)。やるのかそれを、みたいな(笑)。それは今も研究を続けてますけど。他にも色々な研究があって、ワイヤレスの研究もその一つです。コンピューターの世界ではワイヤレスが普通になりましたよね。でも、ロケット業界はまだ有線なので、それをワイヤレスにしようという研究です。ロケットの足元からてっぺんまで、古臭いものを一掃するにはどうしたらいいかという議論をみんなでやった結果、ワイヤレスの案が出てきたんですよね。

低融点の樹脂は、ノーパンクタイヤの中身ですよね?そういうのは一般の人にとっても身近な感じがして面白いですよね。

そういうキーワードが我々の中でも最近、生まれてきたんです。宇宙ロケットの打ち上げっていうのが今はすごく特殊なんですよね。「特殊行事」っていうか(笑)。お客さんが3万人も集まってくれるみたいな。それはすごく嬉しいことなんですけど、いつまでもロケットの打ち上げがそういう状態だと、宇宙への敷居が下がってないってことですよね。そうじゃなくて、ロケットの打ち上げなんていうのがあまりにも日常の風景で、マスコミの人も相手にしてくれないような世界を作りたいという風に思っているんですよ、我々は。で、そのためには、やっぱりロケットを身近な存在にしていかないといけない。身近な宇宙、身近なロケットを作りましょうというのが我々の最終目標です。そういうことを考えると身近な部品とか材料で作らないとだめでしょうと、そういう発想で、堀先生(堀恵一教授。以前、シンキージャーナル第19号でご紹介しました)が自転車屋さんを探してきたんです。そういう発想から、イプシロンの先っぽ(フェアリング)も変えたし、断熱材も普通の市販の断熱材を貼りつけてあるだけなんですよ。宇宙っていうのが今よりも未知の部分が多かった時代には、どこまでどんな材料を突き詰めていけばいいかわからなかったのですが、それは解析も試験も追いついてないという事情もありました。だから最高性能のものを使っておきましょうというのが随所にあるんです。でも今の技術であれば解析もできるし、試験もできるので、ここまでの性能がなくてもここまででいいというものがどんどん暴かれてきて、そういうところをどんどん、身近な部品とか材料に置き換えていくというのがテーマで、自転車屋さんていうのはその過程なんですよ。因みにロケットのモーターケースというのは、CFRPの繊維でぐるぐる巻きにして作っているんですけど、あの炭素繊維も高すぎるので、秋葉先生曰く、釣具屋さんで売ってる釣り糸で巻けと(笑)。普通の釣り糸に樹脂を塗ってぐるぐる巻きにして熱を加えて固めるというのです。ロケット用の炭素繊維に比べると強度は低いように見えるけど、普通に考えたらすごく強いので、そういうので作ったらどうなのかと。もちろん、どこにでも使える訳ではなくて、多分1段目なんかには使えないと思うんですけどね。

でも、斬新は斬新ですよね。

斬新。

秋葉先生はどんどんそういうアイデアが出てくる方なのですか?

糸川仕込みですから(笑)。秋葉先生が何か新しいことを言ってもついていけない人が結構いるみたいなんですよ。というか何を言ってるかわからない。何を言っているんだろう、で終わっちゃう人が結構いるんです。私は教え子なんで、とりあえず先生の言うことは絶対です(笑)。

堀先生とは同期ですか?

同期です。宇宙研(宇宙科学研究所)に助手で入った時からずっと一緒です。学生時代は、彼は燃料屋さんで、私は航空宇宙系なので知らなかったのですが、宇宙研に入ってからは一年目から一緒に能代(秋田県)で燃焼試験やったりしていました。

じゃあ、もう何十年と一緒ですね。

だから幸せですよね。そういう青春を共にした仲間とまだ一緒に仕事ができるっていうのは。普通、だんだん大きくなると仲が悪くなったりしますから(笑)。

イプシロン命名にまつわる裏話

イプシロンという名前はとても良いですね。

イプシロンには幾つかの意味があって、マスコミと宇宙ファンの人には、試験機を打ち上げる前に、4分の1の意味はこれだ、残りの4分の1はこれだってだんだん披露していったんですよ。最後の一番大事な意味は、試験機の打ち上げ後の記者会見で言うからねって言ったのですが、それは、「ギリシャ文字のE(イプシロン)を90度回転させると(M-Vの)Mになる」ということでした。あとは、やっぱり未来に繋がるような、ワクワク感のある、未来に向かって飛んでいくというイメージの名前にしたいというのがあったのです。宇宙研に長友(信人)先生という先生がいらして、秋葉先生や松尾(弘毅)先生、長友先生は日本のロケット開発を創世記から引っ張ってこられた年代の先生方なんです。長友先生は引退してからしばらくして亡くなられたのですけど、亡くなられる前に相談に行ったんです。長友先生は秋葉先生に負けないくらい未来志向の先生で、極端に言うと未来しか考えない(笑)。そういう先生だったのでご意見を伺いに行ったのです。「実はイプシロンなんていう名前を考えているんです」と言ったら、滅多に人を褒めない先生だったはずなのに、「イプシロン、いいじゃないか。木星探査に使えそうだな。」って言われて。それで自信を深めましたね。

イプシロン初号機の風洞実験模型
※イプシロン初号機の風洞実験模型。
アルミに見えますが、SUS製なので、実はどっしりと重いです。

響きがいいですよね。

そうですか。それはよかった。
アルミに見えますが、SUS製なので、どっしりと重いです。

海外から、名前に関して何か言われたことはありますか?

海外の友達に名前でいい悪いって言われたことはそう言えばなかったですね。
どちらかっていうと中身が先行していました。M-Vを卒業してイプシロンに移行するまでの3年間、新しいこと
を色々考えて、宇宙開発委員会に認められた訳ですが、当時の状況は結構厳しくて、よほど新しいロケットでない限り、開発には移行できないという雰囲気があったんですよね。M-Vの延長線上じゃいけないという。M-V自体、全段固体で「はやぶさ」を打った訳ですから、世界の評価はすごく高かったんですよ。固体ロケットは小型ロケットだから、それで小惑星探査機を打つなんてすごいという。その延長線上でまだ足りないというのは、相当なハードルでしたが、我々は「モバイル管制」とか色々並べて宣伝して、それで宇宙開発委員会に認められました。それは当然、海外にも伝わりますから、やっぱり中身でびっくりしてくれましたね、彼らは。本当にそれをやるのかみたいなね。

話は戻りますが、そういう訳で、低融点はイプシロンのチャレンジ精神 の原点なんです。だから低融点を考えついて、それを実現するために色々な方策を考えたのが全部イプシロンに活きているんです。

なるほど。2017年度内に3号機の打ち上げ予定ですよね。

ええ。まだはっきり決まってないんですけどね。

今日はお忙しいところ、貴重なお話をありがとうございました。

JAXA森田教授と

森田先生の研究室には、阪神タイガースグッズが所々に飾ってあります。先生が阪神ファンだと知った宇宙ファンの人々から送られてくるそうです。(そういえばネックストラップもタイガース・・・?)

「先生、関西ご出身ではないですよね?」
「東京です。へそが曲がっているんです(笑)。小学校時代、クラスにタイガースファンは一人だけでした。残りは全員ジャイアンツファン。私の小学校時代ってそんなでした。だから多分、固体ロケットができるんですよ。普通、ロケット開発をやりたいって思った子供はNASDAに行きますよ。そして大きな液体ロケットをやります。なんでわざわざ小型をやるのか、ヘソが曲がってないとできないですね。逆転の発想とか大好きです。ピンチはチャンスとか。」


森田 泰弘 教授 略歴
1958年 東京都生まれ。1982年 東京大学工学部航空学科卒業。1987年 東京大学工学系大学院研究科博士課程修了。工学博士。1988年から2年間、カナダ・ブリテッシュ・コロンビア大学客員研究員として宇宙ステーション用ロボットアームの研究に従事。1990年 旧文部省宇宙科学研究所(現JAXA)システム研究系助手。同年スタートのM-Vロケット開発(主にシステム設計、誘導制御系)を主導する。2003年7月から宇宙科学研究所教授、同年10月からM-Vロケットプロジェクトマネージャ (開発責任者)を兼務し、JAXA統合後の同ロケットの打ち上げを指揮。引き続き、イプシロンロケットプロジェクトマネージャとして我が国の固体ロケット開発をリードするとともに、宇宙飛翔工学研究系教授として研究教育に従事。専門はシステムと制御。

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